囲碁の初手のマナー問題に触発されたのか、Twitter上で、オセロの初手をどこに打つかという話が少し盛り上がっていました。

Twitterから色んな意見を引用
・オセロの初手f5や囲碁の初手右上隅ってルールでは無いけど、相手へのちょっとした思いやり、競技への少しの敬意
・オセロの初手f5は相手への思いやりではなく、自分が定石を覚えた時の慣れた方向
・たまたま会長が最初に定石書に記しただけの初手f5と言う文化を、後の多くのプレイヤーがそれに習い、結果として本来対称形であるはずのオセロの棋譜の向きがいつの間にか統一されてると言う流れに、素人ではないプレイヤーの美しさがある
・私は初めがe6で覚え出したので、ネットや本などでよく見る初手f5が少し見づらかったりします
・初手e6以外打ったこと無い派で、世界大会の棋譜が全て初手f 5に強制変換されて残っており、残念な気持ちに
・ネットオセロで黒番が自分から見て初手f5と打った場合、白番の側では反転した箇所(c4)に着手されるんですか?
・オセロクエストの棋譜見返してみたらみんなてんでバラバラだった
・初手f5の人が多いのは慣例であってマナーではない

あまり深く考えたこともなかったのですが、僕は初手はどこでもいい派です。

リアルのオセロでは初手f5だと相手から見たらc4になってしまいます。いくら初手f5で練習しまくっても、大会に行けば白番(後手)のときに相手がf5=自分から見たらc4でもちゃんと打てないと困ります。

e6、d3に打たれるのは、縦取り派の僕にとっては少し気味が悪いですが、別に支障はありません。

決して初手f5はルールではないし、マナーでもないと思うので、初手がf5でないから文句を言うとかは、現時点ではあり得ません。

面白いなと思ったのは、「文化」理論。確かに会長の本は初手f5になっています。それが美しい文化だと思うかどうか。もうちょっと未来にはそういう文化になっているかも知れません。

1つ絶対に書いておかなければいけないこととして、棋譜を後世にどう残すかという話があります。

棋譜の初手をf5に統一することにみんなの同意が得られていない状態で、公表される棋譜を勝手に(と書くと強すぎるかも知れないけど)初手をf5に統一したり、斜め取りのときの4手目を統一したりということが行われたことがあるらしいのですが、僕はそういうことには反対です。

個人的には、書籍やコンピュータのデータベースには、現実の世界で起こったままの手を記録して欲しいです。「先手(黒)から見た位置」というように、どちらのプレーヤーの視点かは統一して欲しい。将棋みたいに、後手から見たら座標が逆さになっても良い。

初心者用の書籍で定石の説明をする場合だと難しいですが、データベースはバラバラの向きで収録しておいても、コンピュータの処理で変換できます。見る人がそのまま見るか、初手をどこかに統一して回転、反転させて見れるよう、ソフトウェアを少し工夫すれば良いと思います。

斜め取りの4手目というのは、例えばf5f6e6(黒がe6に打ったところ)
20180904斜め取り3まで
と進んだ場合に、d6に打ってもf4に打っても打った後の局面は数学的に(?)同一なので、棋譜も一方に統一・・・いや、ちょっと待って!d6に打ったらe6の隣だけど、f4に打ったらe6から離れてますよ。幾何学的に(?)別の手じゃないですか。

現実の世界で何が起こったのか、事実をありのままに後世に伝えて欲しいと思うので、棋譜は黒番(先手)から見た座標を「そのまま」記録して、改変しないで後世に伝えることにしませんか?

頑張って下さい、エラい方々。